大判例

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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)92号 判決

原告

富田眞澄

富田英夫

富田二三幸

右三名訴訟代理人弁護士

宮川清水

右訴訟復代理人弁護士

上原康夫

被告

医療法人篤友会

右代表者理事

坂本篤郎

被告

山中通弘

大樋知邦

亡白羽弥右衛門訴訟承継人

白羽宜

亡白羽弥右衛門訴訟承継人

白羽誠

右五名訴訟代理人弁護士

佐古田英郎

右訴訟復代理人弁護士

西野佳樹

主文

一  被告医療法人篤友会、被告山中通弘及び被告大樋知邦は、連帯して、原告富田眞澄に対し、金一九九三万二五九〇円、原告富田英夫及び原告富田二三幸に対し、各金九三六万六二九五円、並びにそれぞれ右各金員に対する昭和六二年八月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告白羽宜は、原告富田眞澄に対し、金九九六万六二九五円、原告富田英夫及び富田二三幸に対し、各金四六八万三一四七円、並びに右各金員に対する昭和六二年八月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  被告白羽誠は、原告富田眞澄に対し、金九九六万六二九五円、原告富田英夫及び原告富田二三幸に対し、各金四六八万三一四七円、並びに右各金員に対する昭和六二年八月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

六  この判決は、第一項ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告医療法人篤友会、被告山中通弘、被告大樋知邦は、連帯して、原告富田眞澄に対し、金五五一〇万九四二八円、原告富田英夫及び原告富田二三幸に対し、各金二六七三万三二八三円、並びに右各金員に対する昭和六二年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  被告白羽宜は、原告富田眞澄に対し、金二七五五万四七一四円、原告富田英夫及び原告富田二三幸に対し、各金一三三六万六六四一円、並びに右各金員に対する昭和六二年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

3  被告白羽誠は、原告富田眞澄に対し、金二七五五万四七一四円、原告富田英夫及び原告富田二三幸に対し、各金一三三六万六六四一円、並びに右各金員に対する昭和六二年七月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  第一項ないし第三項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 亡富田五朗(以下「亡五朗」という。)は、大阪府豊中市内に居住して、昭和六二年六月二五日ころまで、大阪市内で金属加工機械製造業等を目的とする日本メカトロ株式会社の代表取締役であったところ、同年八月二八日午前三時二八分享年五三歳で死亡した。

(二) 原告富田眞澄(以下「原告眞澄」という。)は、亡五朗の妻であり、原告富田英夫(以下「原告英夫」という。)及び原告富田二三幸(以下「原告二三幸」という。)は、亡五朗の長男、二男であり、亡五朗の相続人である。

(三) 被告医療法人篤友会(以下「被告篤友会」という。)は、大阪府豊中市内で医療法人篤友会坂本病院(以下「坂本病院」という。)を開設している医療法人であり、亡白羽弥右衛門医師(以下「亡白羽医師」という。)は、坂本病院の顧問であった者であり、被告大樋知邦医師(以下「被告大樋医師」という。)は、坂本病院副院長であり、被告山中通弘医師(以下「被告山中医師」といい、以上の三名の医師を「被告医師ら」と総称する。)は、坂本病院の医師である。

亡白羽医師は、平成六年五月二日に死亡し、同人の法定相続人である被告白羽宜及び被告白羽誠が各二分の一宛の法定相続分で相続した。

2  (亡五朗の坂本病院への入院から転院までの経緯)

(一) 亡五朗は、昭和六二年六月二五日ころ(以下、月日のみ記載の場合は、いずれも昭和六二年のこととして、年度の記載を割愛する。)ころ、腹部が膨張し、便秘もひどくなったので、自宅近くの西岡医院を受診して下剤を服用したものの、排便はなく、西岡病院から被告篤友会の開設する坂本病院を紹介された。

(二) 亡五朗は、六月二七日、坂本病院を外来で受診して、下剤三回分の投与を受けた。亡五朗は、翌二八日夜までに右下剤二回分を服用したものの、排便はなく、腹部の膨張が激しさを増したので、同日、救急車で坂本病院へ搬送され、入院した。

(三) その際、亡五朗は、被告らとの間で、右疾患についての治療を受けるための診療契約を締結した。

(四) 被告医師らは、七月七日までは、亡五朗の疾患について、ごく軽症のS状結腸拡大肥厚による狭窄症と診断していた。

(五) 亡五朗は、坂本病院に入院中の同月八日の一日だけ、被告医師らの指示により、大阪市天王寺区内の医療法人正啓会西下胃腸病院(以下「西下胃腸病院」という。)に赴いて検査を受けたところ、S状結腸癌を強く疑う旨の検査結果が出た。この当時、亡五朗には、発熱、悪寒戦慄、関節痛、筋肉痛、意識障害等の敗血症を窺わせる症状は、全くみられなかった。

(六) その後、被告医師らは、同月一一日の午後二時から七時過ぎまで、共同して、亡五朗のS状結腸癌根治手術をなし、さらに下行結腸肛門側端部と結腸S字状部の口側端との端々吻合術をなした(以下「本件手術」という。)。

(七) 亡五朗は、同月二〇日、左側腹部に挿入されているペンローズ排液管から、褐色の漿液膿性排出液が流出するようになって、本件手術の際の縫合不全による兆候を示したうえ、同月二五日には、同排液管から褐色の糞便様分泌物を排出して、更に強い縫合不全の兆候を呈した。そして、亡五朗は、同月三一日午後から、体温39.4度の高熱を発して、悪寒戦慄等の敗血症の症状を呈するようになった。

(八) 被告医師らは、亡五朗の縫合不全による右兆候出現と前後して、同月二九日から八月七日までの間に、亡五朗に対し、一日当たり三五九キロカロリーから五七五キロカロリーまでの流動食を連日摂取させた。

(九) そして、被告医師らは、八月八日、亡五朗に対し、ダグラス窩膿瘍ドレイン排膿排液術を実施した。

3  (亡五朗の市立豊中病院への転院から死亡に至るまでの経緯)

(一) 亡五朗は、八月九日午前七時三〇分ころ、痙攣を起こし、意識不明となったにもかかわらず、被告大樋医師が不在であり、在院した被告山中医師も何ら治療を行わなかった。そのため、原告英夫、原告二三幸及び亡五朗の実兄富田資朗らは、被告医師らの前記対応に不信感を抱くようになっていたうえ、亡五朗の症状が本件手術後も悪化の一途を辿っていたことから、亡五朗を転院させることを決意した。そして、原告らの隣人である中塚輝子が一一九番通報し、坂本病院の看護婦や研修医が同道したうえ、亡五朗を市立豊中病院に転院させた。

(二) その後、亡五朗は、同月一三日、市立豊中病院において、空置的人工肛門造設術、すなわち、縫合不全部の上流(口側)に便の流れをとめるための人工肛門を作成する手術を受けた。

(三) しかし、亡五朗の症状は好転することなく、同月二八日、市立豊中病院において、S状結腸癌手術後の縫合不全に基づく腹腔内重症感染に起因する敗血症によって死亡した。

4  (被告医師らの過失)

(一) 被告医師らの手術前の診断治療の過誤

(1) 手術前検査についての懈怠

本件手術においては、癌病巣の切除手術に先立ち、手術前の癌の周囲臓器への浸潤度や遠隔転移の様相を知ることが重要である。そして、そのためには、転移の有無を知るための造影検査、及び周囲臓器への浸潤の有無を知るための超音波診断検査が不可欠の検査法である。しかるに、被告医師らは、右各術前検査を全く実施していない。亡五朗には、周囲臓器への浸潤や遠隔転移がなかったとはいえ、結果論に過ぎない。

(2) 手術前の一般栄養状態改善措置についての懈怠

縫合不全を起こすおそれのある一般状態の悪い患者に対しては、あらかじめ手術前三週間程度にわたって、中心静脈栄養を行うことにより、体重を三ないし四キログラム増加させて、手術侵襲によって低下する生体防衛機能を強化すべきであったのに、被告医師らは、かような措置を行わなかった。

(3) 手術前の腸内容除去と腸内細菌減少措置についての懈怠

大腸癌手術後の感染予防、縫合不全防止のためには、手術前の腸内容除去と、腸内細菌減少措置が必要不可欠であるところ、被告医師らは、亡五朗が腸閉塞症状を呈しており、結腸全体にバリウム残があることを十分認識していたのであるから、手術前の結腸内腔の消毒の必要性をも十分認識していたにもかかわらず、本件手術前に、右腸内容除去措置及び腸内細菌減少措置を実施しなかった。

(二) 術式選択についての過誤

左側大腸癌による腸閉塞の場合には、縫合不全の危険を防ぐという意味で、まず病巣の口側である横行結腸に腸瘻を造設し、その後病変部腸管の切除を行う二期的ないし三期的術式による手術を行うべきであったにもかかわらず、被告医師らは、縫合不全の危険性の高い一期的S状結腸切除と吻合を施行した。

(三) 本件手術における手技上の過誤

亡五朗の縫合不全の態様は、病理解剖によれば、腸管がその一部を除いては約三センチメートルにわたって離開していたものであって、腸管内容物が、縫合不全部で漏れて対外に排泄されず、すべて腹腔内に洩出する状態であった。その結果、膿瘍が縫合不全部の周囲に形成され、深部の腸腰筋に達していたうえ、離開部から口側五センチメートルのところで膿瘍が下行結腸に穿破し、粘膜も一部潰瘍化していたほか、周囲の小腸漿膜は、黄色調の汚い炎症浸出物に覆われて、線維素性又は線維性癒着により一塊となっていた。この縫合不全部の破綻の程度、態様の激しさからみて、被告医師らの本件手術における縫合の際の何らかの手技上の過誤により、亡五朗の縫合不全が生じたものである。

(四) 術後管理についての過誤

(1) 経口摂取開始前の縫合不全の有無及び腸瘻化についての検査懈怠縫合不全が生じている場合に、経口摂取を行うと、各種消化液が胃腸内に分泌されるために、経口摂取を中止している場合に比較して、飛躍的に腸内容物が増加する。その結果、再縫合部から漏出する腸内容物の量も増加し、その一部が排液管からではなく、縫合不全部の〓開(しかい)部から腹腔内に流出、貯留するおそれが大きくなり、これに引き続いて、細菌感染が起きるので腹膜炎が必至となる。そこで、経口摂取を開始するにあたっては、造影剤(ガストログラフィン)を経口的に与え、X線造影による透視によって腸管内から腸管外への造影剤の漏出の有無を検査し、漏出のあるときには腸管内の膿瘍腔(造影剤の貯留)の大きさと広がりなどを調べて、縫合不全のないことを確認する必要がある。そして、縫合不全が確認された場合には、経口摂取を開始するまでに、縫合不全部から体外までの経路が完全な腸瘻となり(腸瘻化)、縫合不全部から腸管外に出た腸内容が縫合不全部周辺に貯溜することなく体外に排出されているか否かの確認をすることが必要である。そして、その検査は、造影剤(ガストログラフィン)を経口投与するか、又は排液管から注入して、縫合不全部の大きさ、腸管内の腸瘻腔の存在とその大きさ、縫合不全部から肛門側腸管への造影剤の進入状態などを検索するという方法で行うべきである。

しかるに、被告医師らは、右造影検査を全く実施することなく、同月二九日から、亡五朗に対し、流動食の経口摂取を開始した。

(2) 敗血症症状出現後の経口摂取の継続

被告医師らは、七月二〇日、亡五朗に縫合不全の局所兆候を認め、同月二五日には、更に疑わしい兆候を認めたにもかかわらず、右腸瘻化の有無・程度を確認検査することなく、同月二九日に流動食の経口摂取を開始した。そして同月三一日には、体温上昇、悪寒戦慄等を伴う敗血症様症状を認めたのであるから、縫合不全を疑い、直ちに流動食の経口摂取を中止すべきであったにもかかわらず、経口摂取を中止することなく、八月五日には、五五七キロカロリーに増加して、同月七日まで、流動食の経口摂取を継続した。

(3) 大型縫合不全の際の必要的手術療法についての懈怠

被告医師らは、七月三一日には、亡五朗に体温上昇、悪寒戦慄等を伴う敗血症様症状が現われたのであるから、縫合不全と判断して、空置的人工肛門造設術、すなわち、縫合不全部の上流(口側)に便の流れを止めるための人工肛門を作製すべきであったにもかかわらず、大型の漏れがある状態のままで放置した。

(五) 説明義務違反

被告医師らは、亡五朗を手術するために必要な手術前の適切な検査をなし、手術後に適切な治療をする人的物的設備、すなわち診断能力が坂本病院に欠如していること、更には、手術の執刀医である亡白羽医師が手術時七五歳であって、視力・反射神経の衰え等の手術能力に問題があることについて、原告らに説明する義務があったにもかかわらず、右説明をしなかった。

5  (因果関係)

被告医師らは、本件手術の直前まで、亡五朗の症状をごく軽症のS状結腸狭窄と診断しており、その間、S状結腸切除を予定した一般栄養状態の改善、腸内容物除去、腸内腔消毒、手術前検査をしないまま、十分の待期的時間を漫然と過した。そして、七月八日の西下胃腸病院でのS状結腸癌を強く疑うという診断が出た結果、被告医師らは、急遽、同月一一日に本件手術を実施したものの、その後引き続き微熱が続いて、縫合不全の兆候が持続していたのに、縫合不全部の大きさや範囲を確認する検査も実施しないで、経口摂取を開始した。更に、その後に敗血症様症状が発生した後も、経口摂取を継続し、大型の漏れの状態のままで放置し、縫合不全を看過して、空置的人口肛門造設術を実施しなかった。そのため、亡五朗は、縫合不全に基づく腹腔内重症感染に起因する敗血症によって死亡した。したがって、被告医師らの前記各過失と亡五朗の死亡の間には、因果関係がある。

6  (被告らの責任)

(一) 債務不履行責任

被告らは、六月二八日に亡五朗との間で締結した診療契約に基づき、医療水準にしたがった適切な医療行為をなすべき義務を負っていた。ところが、その履行補助者である被告医師らの前記過失により、亡五朗を死亡させたのであるから、債務不履行責任を負うべきである。

(二) 不法行為責任

(1) 被告医師らは、共同して、前記過失に基づいて、亡五朗を死亡させたのであるから、共同不法行為責任を負うべきである。

(2) 被告篤友会は、被告医師らの使用者であるから、被告らの不法行為について、民法七一五条に基づく使用者責任を負うべきである。

7  (損害)

原告らは、被告らの右債務不履行、または不法行為により、次の損害を被った。

(一) 亡五朗の損害

(1) 逸失利益

亡五朗の死亡時の月収は七〇万円、就労可能年数一四年(五四才から六七才)であるから、生活費として三割を控除したうえ、ホフマン法式により中間利息を控除して(係数10.409)、亡五朗の逸失利益を算定すると左記金額になる。

六一二〇万四九二〇円

(2) 医療費、入院雑費、付添費、医師謝礼

一〇〇万七〇二〇円

(3) 慰謝料 一〇〇〇万円

(二) 原告眞澄の損害

(1) 葬儀費用、墓碑建立費

一四九万三五一〇円

(2) 慰謝料 一二五〇万円

(3) 亡五朗の損害の相続分

三六一〇万五九七〇円

(4) 弁護士費用五〇〇万九九四八円

合計 五五一〇万九四二八円

(三) 原告英夫の損害

(1) 慰謝料 六二五万円

(2) 亡五朗の損害の相続分

一八〇五万二九八五円

(3) 弁護士費用二四三万〇二九八円

合計 二六七三万三二八三円

(四) 原告二三幸の損害

(1) 慰謝料 六二五万円

(2) 亡五朗の損害の相続分

一八〇五万二九八五円

(3) 弁護士費用二四三万〇二九八円

合計 二六七三万三二八三円

8  (原告らの本訴請求内容)

原告らは、被告らに対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めることとして、

(一) 被告篤友会、被告山中医師及び被告大樋医師に対しては、連帯して、原告眞澄に対する五五一〇万九四二八円、原告英夫及び原告二三幸に対する二六七三万三二八三円の各支払

(二) 被告白羽宜に対しては、原告眞澄に対する二七五五万四七一四円、原告英夫及び原告二三幸に対する一三三六万六六四一円の各支払、

(三) 被告白羽誠に対しては、原告眞澄に対する二七五五万四七一四円、原告英夫及び原告二三幸に対する一三三六万六六四一円の各支払、

(四) 右(一)ないし(三)の各金員に対する本件手術の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払

をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は、そのうち、(一)の亡五朗が八月二八日死亡したことは認め、その余は知らない。(二)及び(三)はいずれも認める。

2  同2の事実は、そのうち、(一)は知らない。(二)は認める。(三)の被告篤友会が亡五朗と診療契約を締結したことは認め、その余は否認する。(四)は否認する。(五)ないし(八)はいずれも認める。

3  同3(一)は、そのうち、原告の親族らが亡五朗を市立豊中病院に転院させたことは認め、亡五朗が同月九日午前七時三〇分ころ痙攣を起こして、意識不明になった際、被告大樋医師が不在であり、在院した被告山中医師も何ら治療を行わなかったことは否認する。その余の事実は知らない。

(二)は知らない。

(三)のうち、亡五朗が八月二八日市立豊中病院で死亡したことは認め、死亡原因がS状結腸癌手術後の縫合不全に基づく腹腔内重症感染に起因する敗血症であることは否認する。亡五朗は、癌性由来の縫合不全から、多臓器不全(MOF)に陥って死亡したものである。被告らは、当初、亡五朗の直接死因が敗血症であることは認める旨陳述したが、これは真実に反する陳述であり、かつ、錯誤に基づいてなしたものであるから、右自白は撤回する。

4  同4の事実について

(一) (一)の事実について

(1) (1)は否認する。被告医師らは、六月九日、亡五朗の胸腹部をレントゲン撮影し、肺野、横隔膜に異常が特にないことを確認したうえ、超音波検査により、肝臓に異常がないことも確認しているほか、注腸検査法、すなわち、経肛門的に造影剤を注入して、逆行的に大腸の造影を行うためのレントゲン検査方法を実施している。

(2) (2)は否認する。被告医師らは、亡五朗の入院後、同人に対し、連日、フィジオゾール、ハルトマン、ビタミンB、ビタミンC、ブドウ糖等を輸液投与して、同人の一般栄養状態改善のための最善の処置をとった。亡五朗は、亜腸閉塞であり、癌であることが強く疑われる状態でもあったから、原告ら主張の三週間程度にわたる中心静脈栄養を行った場合には、手後れになってしまう状況であった。

(3) (3)のうち、原告主張の腸内容の排除を行なっていないことは認め、その余は否認する。被告医師らは、六月二八日から、亡五朗に対して、抗生物質であるミノマイシン、ペントシリン、リンコシンを投与して、常在細菌の減少措置を採っていた。腸内容の排除については、その実施に最低七二時間を要するところ、被告医師らにとって、亡五朗がS状結腸癌であると分かったのは、同年七月八日の夕刻であった。しかも、亡五朗は、亜腸閉塞であって、腸閉塞に進行しないうちに手術する必要があったので、最も早い手術可能な日である同月一一日の午後に手術をしなければならなかったから、腸内容の排除を行う時間的余裕がなかった。

(二) (二)の事実について

(二)の事実のうち、被告医師らが一期的に病変部のS状結腸の切除と吻合を施行したことは認め、その余は否認する。被告医師らが、一時的人工肛門造設を伴う二期的ないし三期的手術の方法を採らなかったのは、亡五朗は亜腸閉塞であったから、腸閉塞にならないうちに手術するのが望ましいところ、二期的ないし三期的手術は日数がかかること、人工肛門を造設すると、癌細胞が腹膜内外に播種する危険があることをおそれたことによる。

(三) (三)の事実について

(三)の事実のうち、亡五朗の縫合不全の態様については、病理解剖によれば、亡五朗の腸管がその一部を除いては約三センチメートルにわたって離開していたものであって、腸管内容物が縫合不全部で漏れて体外に排泄されず、すべて腹腔内に洩出する状態であったこと、その結果、膿瘍が縫合不全部の周囲に形成され、深部の腸腰筋に達していたうえ、離開部から口側五センチメートルのところで、膿瘍が下行結腸に穿破し、粘膜も一部潰瘍化していたほか、周囲の小腸漿膜は、黄色調の汚い炎症浸出物に覆われており、線維素性又は線維性癒着により一塊となっていたことは認め、その余は否認する。

本件手術が行われたのは、花田病理解剖時の四八日前であり、その間において、八月四日に左側腹部ペンローズ管内へのシリコン管挿入、八月八日にダグラス窩切開と排膿管挿入、八月一三日に市立豊中病院においてループ人工肛門設置術が行われて、腹腔内での大小腸の移動、退縮、牽引などがなされた結果、三センチメートルにもわたる離開が生じたのであって、坂本病院入院中には、三センチメートルもの大きな離開はなく、膿瘍も限局されていたのである。したがって、縫合不全については、被告医師らの手技上の過誤に基づくものではない。

(四) (四)の事実について

(1) (1)のうち、被告医師らが、亡五朗に対して、造影剤ガストグラフィンを使用した造影検査を行なっていないことは認め、その余は否認する。ガストグラフィンは、特有な臭気を持っているので、患者は飲みづらいうえ、下部消化管瘻の造影力も弱いので、結腸等の下部消化管の造影検査には採用されていない。被告医師らは、亡五朗の左腹部に、ドレーンが設置してあって、縫合不全の程度を、そこからの排液によって判断することができた。

(2) (2)のうち、亡五朗に、七月三一日、体温上昇、悪寒戦慄等を伴う敗血症様症状が現れたこと、被告医師らが同月二九日から開始した経口摂取を中止することなく、八月五日には、五五七キロカロリーに増加したうえ、同月七日まで、流動食の経口摂取を継続したことは認め、その余は争う。被告医師らが亡五朗に対する流動食の経口摂取を継続したのは、結腸末端部内容の持つ消化力では化学的腹膜炎を惹起するに至らないうえ、流動食は、もともと無残滓であり、結腸吻合部へ到達するまでにすべて吸収されると考えたことに基づくものである。

(3) (3)のうち、亡五朗に、同月三一日、体温上昇、悪寒戦慄等を伴う敗血症様症状が現れたことは認め、その余は争う。被告医師らが、亡五朗に対し、人工肛門を造設しなかったのは、同人の腹腔内に、微小癌が残存している可能性があって、そのために腹膜〓開をきたすことをおそれたためである。

(五) (五)の事実について

(五)の事実は争う。原告ら主張の事実について、被告医師らが説明義務を負うとはいえない。

5  請求原因5の事実は否認する。

亡五朗には、担癌患者であるという基盤が存したうえ、末期癌患者にみられる全身の免疫低下、代謝の異常(例えば、制御し難い糖尿病)、感染、微小癌病巣の存在等の諸原因が重複して、吻合部に癌性由来の縫合不全を誘発した。次いで敗血症様症状を発現し、その進行途上において多臓器不全(MOF)に陥り、死亡したものである。

6  同6の事実は、(一)のうち、被告篤友会が六月二八日に亡五朗との間で診療契約を締結したことは認め、その余の事実は争う。

7  同7及び同8の事実は、争う。

三  被告の主張(因果関係について)

1  (大腸癌取扱規約)

そもそも、腹部外科医は、大腸癌手術に際し、癌組織のすべてを摘出手術できないと判断したときを除いて、肉眼的に分かる範囲の癌組織を摘出するよう努める。しかし、肉眼的に分かる範囲内の癌組織が一応すべて摘出されても、体内に顕微鏡的な癌細胞が残存していた場合には、通常一定期間を経て、癌が再発することになる。

そして、癌の再発の有無、患者の予後の予測に当たっては、まず摘出された癌病巣標本によって判断される組織学的壁深達度、郭清・摘出されたリンパ節によって判断される組織学的リンパ節転移、摘出された腹膜によって判断される組織学的腹膜播種などの点からみた癌の進行度を確定し、次に、どの程度の確率で当該患者が生存し、あるいは死亡するかの点を右観点で集計処理した資料である大腸癌研究会編の大腸癌取扱規約を基本的に使用すべきである。

2  (亡五朗の結腸癌の進行度及び余命)

そこで、右大腸癌取扱規約に基づいて判断される亡五朗の結腸癌の進行度及び余命は、以下のとおりである。

(一) 壁深達度

中央微生物研究所(以下「中央微研」という。)所属の宮地徹医師(以下「宮地医師」という。)作成の七月一六日付病理組織検査報告書(以下「中央微研検査報告書」という。)によれば、七月一一日に行われた本件手術時の亡五朗の結腸癌病巣においては、腺癌組織が結腸壁外の周辺腹膜組織の中へ浸潤し、リンパ管などの脈管内にも癌組織の浸潤が認められたので、壁深達度はsi(癌が明らかに他臓器に浸潤している。)である。この点だけをみても、摘出手術後も体内に顕微鏡的にのみ認められる癌細胞が残存して、癌が再発する場合などを統計的に把握すれば、亡五朗の場合において、五年以内に死亡する確率は70.2パーセントである。

(二) 腹膜播種性転移

本件手術時に亡五朗から摘出され、所属リンパ節として中央微研に送付された硬結二個は、検査の結果、所属リンパ節ではなく、結腸癌が大網、臓側腹膜、壁側腹膜、腸間膜などの腹膜に、播種性転移(癌細胞がちらばるような転移)をした結果生じたものであることが明らかになった。そうすると、亡五朗の腹膜播種性転移の有無について、大腸癌取扱規約に照していうと、P(+)(すなわち、P1(近接腹膜にのみ播種性転移を認める。)であり、かつ組織学的に腹膜播種性転移のあることが確認された場合。)であるから、右取扱規約に基づいて判断すると、術後亡五朗の体内に顕微鏡的にのみ認められる癌細胞が残存し、癌が再発するなどのために五年以内に死亡する確率は、92.4パーセントである。

(三) 亡五朗の五年生存率

大腸癌取扱規約に基づく、大腸癌摘出手術の予後は、壁深達度、腹膜播種性転移等のうち、最悪のものによって決定される。したがって、亡五朗の組織学的な癌の進行度は、ステージⅤとなり、癌が再発するなどのために五年以内に死亡する確率は、92.4パーセントとなる。逆に言えば、亡五朗の五年生存率は7.6パーセントである。

3  (癌疾患の生存率と因果関係)

再発のおそれが高く、不治の病とされる進行癌の特殊性からは、医師側の債務不履行ないし過失と、患者の死亡との間の因果関係は、五年生存率が相当程度高いとされる早期癌でもない限り否定されるというべきである。そうすると、本件においても、亡五朗の五年生存率は、7.6パーセントに過ぎないのであるから、仮に被告医師らに過失があるとしても、右過失と亡五朗の死亡との間の因果関係は否定されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

被告が、亡五朗の余命について、中央微研検査報告書を根拠にする点は、以下の理由により失当である。

1  同報告書には、検査のために提出された採取部位の組織として、「S状結腸腫瘍の一部、所属リンパ節二ケ」との記載があるものの(以下、提出された、S状結腸腫瘍の一部を「No.三三九三四二S状結腸腫瘍」、所属リンパ節を「No.三二九三四三リンパ節」という。)大網を提出したとの記載はないから、大網は検査の対象になっていないにもかかわらず、「高分化管状腺癌の大網転移」という検査結果が記載されているのは不可解である。

2  同報告書の記載のうち、「P(+)」、「組織学的進行Ⅲ」との記載は、被告医師らが同報告書に書込んだもので宮地医師の見解ではないから、亡五朗の余命を判断する根拠とすることはできず、「漿膜浸潤あり」、「腹膜播種あり」、及び「組織学的進行Ⅴ」の記載は、九月二日実施された証拠保全(昭和六二年(モ)五三一七号証拠保全事件。以下「本件証拠保全」という。)実施時においては、その記載がなく、後日、加筆されたものであって、改ざんされたおそれすらあり、到底信用できない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  亡五朗の坂本病院入院から市立豊中病院への転院までの経緯について

1  請求原因1の(一)の亡五朗が八月二八日死亡したこと、(二)、(三)の事実、同2(二)、(三)の被告篤友会が亡五朗と診療契約を締結したこと、(五)ないし(八)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  請求原因1及び2のその余の事実の存否について検討する。右争いがない事実、及び証拠によれば、亡五朗が坂本病院へ入院して、市立豊中病院へ転院するまでの経緯について、以下の事実が認められる。

(一)  (坂本病院入院までの経緯)

亡五朗は、昭和六二年当時、大阪市内で金属加工機械の製造や一般産業機械等の輸出入等の業務を営む日本メカトロ株式会社の代表取締役であったところ、六月一日から七日までの間、台湾へ出張し、同月一三日から二〇日までの間は、インドネシアに出張するなどして、平生と変らぬ活動をしていたところ、右帰国後の同月二四日ころから下腹部痛を感じ始め、次第に下腹部の膨満感を覚えるようになってきた。そこで、亡五朗は、同月二五日、自宅で下剤を服用し、浣腸を施行したが、排便や排ガスが得られなかったため、同月二六日、西岡医院で受診して、下剤服用及び浣腸施行の治療を受けたものの、やはり排便及び排ガスがなかった。次に、亡五朗は、同月二七日、右西岡医院の紹介により、坂本病院を外来で受診して下剤の投薬を受け、翌二八日までに、右下剤を二回分服用したものの、自宅で水二口を摂取しただけでも嘔吐し、腹部膨満の激しさも増したため、同日午後一一時、救急車で坂本病院に搬送されて入院した。(甲八、九、二九、三五、乙一、原告二三幸本人)

(二)  (坂本病院入院後から本件手術までの経緯)

(1) 被告医師らは、六月二九日、亡五朗に対し、腹部X線撮影を行って腸閉塞の兆候を認め、かつ、注腸造影を行って、S状結腸にきんちゃくを締めたような全周性の狭窄を認めたが、S状結腸癌を疑っていたわけではなく、ごく軽症のS状結腸狭窄を疑っていたに過ぎなかった。(甲二一、乙一、亡白羽医師本人)

(2) 被告医師らは、同日、亡五朗について、胸部X線撮影の結果から肺野及び横隔膜に特に異常がないこと、並びに超音波検査の結果から肝臓に異常がないことを確認したほか、経肛門的に造影剤を注入して、逆行的に大腸の造影を行う注腸検査法を実施した。(乙一、亡白羽医師本人)

(3) また、被告医師らは、六月二八日から本件手術までの間に、亡五朗に対し、維持用液であるフィジオゾール3S、乳酸リンゲル液であるハルトマン、ビタミンB、ビタミンC、ブドウ糖を輸液投与して、栄養状態の改善に努めた。(乙一、二六、亡白羽医師本人)

(4) 被告医師らは、六月二八日以降、亡五朗に対し、腸内常在細菌の減少を図るため、抗生物質であるセファメゾン、ミノマイシン、ペントシリン、リンコシンを投与した。(乙一、一九、二六、弁論の全趣旨)

(5) 亡五朗は、七月八日、坂本病院に入院したまま、被告医師らの指示で、大阪天王寺区内西下胃腸病院に赴いて、内視鏡検査と病理組織検査を受けた。その結果は左記ア及びイのとおりであり、左記アの内視鏡検査の結果は同日夕刻に、同イの病理組織検査の所見は同月一八日ころに、被告医師らに報告された。(以下、右内視鏡検査所見及び病理組織検査所見を合せて、「西下胃腸病院検査所見」という。)(甲二二、乙一、亡白羽医師本人、被告大樋本人)

ア 内視鏡検査所見

肛門から二五センチメートルの部位に、全周にわたる易出血性の腫瘤による狭窄があり、内視鏡では、それ以上の挿入不能であった。S状結腸癌が強く疑われる。

イ 病理組織検査所見

七つの切片のうちの三切片では、腺構造に異形があり、N/C比が大きく、細胞異形もあり、グループ五(癌と判定される)、進行度は悪性である。他の四切片は、腺構造に乱れがなく、細胞異形もない。

(三)  (本件手術実施)

亡白羽医師及び被告大樋医師は、手術助手を被告山中医師、麻酔医師を越山医師として、七月一一日、亡五朗に対し、以下のとおり、本件手術を実施した。(乙一、乙一三、亡白羽医師本人、被告大樋本人、本件鑑定)

(1) まず、全身麻酔のもとで、亡五朗の左下腹部傍直腹筋外縁線上、臍上二横指から下方へ縦走する約二〇センチメートル長の皮切を加えて開腹したところ、小腸は、全般にガスと液体のため膨満していたので、小腸内にカテーテルを挿入して、結腸、小腸内のガス及び液体を吸引した。

(2) S状結腸末端部に近い(岬角から約七センチメートル口側)部位には輪状の狭窄があり、板様硬を示し、管腔をほぼ閉塞していたので、これが内視鏡検査で癌を疑わせた部位と考えられた。この部位から口側約三〇センチメートルにわたる下行結腸は、漿膜面が連続的に癒着しており、そのなかに硬結数個を触れることができた。しかし、肝臓、膵臓、胃、膀胱、ダグラス氏窩には、触診上著変を見いださなかった。

(3) そこで、被告医師らは、S状結腸癌に対する根治手術を行うべきものと考え、以下のとおり、S状結腸切除術、リンパ節郭清を含むS状結腸癌根治手術を行った。

ア 下腸間膜動脈は、腹大動脈起始部の高さで、リンパ節腫脹をも含めて切離した。

イ 膵体部直下の剥離を左方へ進み、この高さで下行結腸を切離し、その結腸口側端は、ペッツ縫合器を用いて閉鎖したうえ、その口側で腸鉗子を約一時間装着しておいて、この部の血行維持状態を観察することとした。

ウ 残存下行結腸口側端部を口側に向かって遊離し、結腸脾弯曲を超えて、横行結腸左三分の一を遊離した。

エ S状結腸腸間膜根部を、腹大動脈右縁に沿って下行へ剥離、郭清した。S状結腸間膜の内側面根部においても、ほぼ正中線すなわち下腸間膜動脈と思われる拍動よりもなお正中よりの線上で、後壁腹膜を岬角から頭側に向かって切開し、後腹膜腔内の脂肪組織とリンパ節を、腹大静脈の直前面に沿って郭清し、更にこれを左右両側へ向かっても拡大した。これによって、下腸間膜動脈が腹大静脈前壁から分岐する点に達したが、ここでいわゆるNo.二五三リンパ節と思われるものが、腫大かつ硬結していることがわかったので、このリンパ節を含めて下腸間膜静脈を腹大動脈前面から切離した。そして、岬角に達し、直腸S状部を授動(動く状態にすること)したうえで、岬角よりも口側、S状結腸癌から七センチメートルの肛側部でS状結腸を横断し、S状結腸とその腸間膜とを切除した。なお、切断線の腸壁には、肉眼的には癌浸潤を認めなかった。

オ 右操作に際しては、S状結腸全面を覆う大網が、S状結腸及びその腸間膜に癒着していたので、大網をほぼ右三分の一を残して横行結腸から切断した。右大網を手術後切開すると、S状結腸漿膜面に膚接する硬結が見いだされた(この硬結が、「No.三二九三四三リンパ節」である。)。

カ さきに、切断して授動後約一時間を経過した下行結腸口側端には、血行障害がなく、また、肉眼的に切断線にも癌はないと考えられたので、下行結腸と直腸S状部との間に三層端々吻合を行った。

キ 吻合操作終了の後、バブリングテスト(生理食塩水を縫合線上にふりかけても、泡が現れないことを確認して、縫合不全のないことを確認するための検査。)を行ったうえ、左体壁腹膜を剥離授動して、腹部大動脈右縁に沿う後腹膜切離線に縫着閉鎖した。そして、ペンローズ管二本を上下に分けて、左側腹部後腹膜腔内に挿入、留置して、排液に供した。また、肛門を経て、排気用カテーテルを直腸腔内に挿入し、その先端が結腸吻合線を口側へ約一五センチメートル越えるまで深く挿入しておき、このカテーテルの肛門外端を、その自然脱落を防ぐため、会陰部皮膚に縫着固定した。

ク 腹腔内を、温生理食塩水約五リットルで洗浄したうえ、腹壁を三層に縫合閉鎖して手術を終えた。所要時間は約四時間であった。

(3) 亡白羽医師は、原告二三幸ら等に対し、亡五朗から摘出した部位を示しながら、亡五朗のS状結腸にはかなり進行した癌があったこと、摘出臓器・組織は顕微鏡標本を作って検査に付することを説明した。(乙一三、亡白羽医師本人)

(四)  (縫合不全症状の出現)

(1) 亡五朗は、本件手術後六日目である七月一七日、三七度三分の微熱を発して腹痛を訴えるとともに、白血球数は一万四八〇〇(一立方ミリメートルあたりの数である。以下同じ。)となって増多し、翌一八日には、左側腹部の排液用ペンローズ管から膿性漿液性分泌液少量が流下し、縫合不全の兆候が出始めた。そして、排液用ペンローズ管からは、同月二〇日にも、膿性漿液性分泌液少量が流下するとともに、亡五朗の白血球数が、同月二一日には、九八〇〇となって再び増多した。そして、亡五朗の排液用ペンローズ管からは、同月二五日にも、糞便様の分泌物の附着乾燥が見られ、同月二九日にも、糞便様の褐色浸出液が乾燥しているのも見られて、縫合不全の症状が継続した。(乙一、一九、二五、被告大樋医師本人)

(2) 亡五朗は、同月三一日午後から、悪寒を伴う発熱等、典型的な敗血症症状を呈するとともに、左腹部の排液用ペンローズ管から褐色便様の滲出液が僅かに乾燥しているのが見られた。その後も、亡五朗は、三七度ないし三九度の発熱が持続していたうえ、八月六日には、右ペンローズ管から悪臭を伴った膿厚糞便様液が多量に排出され、翌七日にも、右ペンローズ管から便汁の中等量排出があった。

(乙一、一九、二五、被告大樋医師本人)

(五)  (流動食の経口投与)

被告医師らは、七月二九日から、亡五朗に対し、一日あたり三五九キロカロリーの流動食の経口投与を開始し、同月三〇日から同月一日までは一日あたり三三〇キロカロリーの、同月二日は一日あたり二二〇キロカロリーの、同月三日、四日は一日あたり三三〇キロカロリーの、同月五日は一日あたり五七五キロカロリーの、同月六日、七日は一日あたり三三〇キロカロリーの流動食を経口投与し、亡五朗は、右流動食を全量摂取した。(以下「本件経口摂取」という。)(乙一、二六、被告大樋医師本人)

(六)  (原告らへの説明)

亡白羽医師及び被告大樋医師は、八月七日、原告眞澄及び亡五朗の妹と称していた中塚耀子の求めに応じて、亡五朗の病状について図解(甲二)を用いて説明した。すなわち、本件手術によって、S状結腸肛門端に近い場所にできた腺癌を含むS状結腸のほとんど全てと付属組織を切除したこと、結腸吻合部に縫合不全を併発したので、大腸菌を主とする細胞感染が腹腔内におこり、七月三一日午後以来の悪寒・発熱をきたしていること、応急措置としてはなるべく早く人工肛門造設の必要があるが、これには、癌による縫合創〓開の可能性があるので、貯留膿瘍の切開、排膿が優先することを説明した。(乙一、二九、原告二三幸本人、亡白羽医師本人、被告大樋医師本人、弁論の全趣旨)

(七)  (ダグラス窩穿刺術)

被告医師らは、八月八日、亡五朗のダグラス窩底には縫合不全を原因とする膿瘍を形成されていると判断して、その膿瘍を排出するため、腰椎麻酔下にて、ペンローズ管をダグラス窩に刺入するダグラス窩穿刺術を行った。

(乙一、一九、被告大樋医師本人)

二  亡五朗の市立豊中病院転院から死亡に至るまでの経緯

1  請求原因3(一)の原告の親族らが亡五朗を市立豊中病院に転院させたことは、当事者間に争いがない。そして、同3のその余の事実については、証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

2  (市立豊中病院への転院)

亡五朗は、八月九日午前中、悪寒戦慄、痙攣を起こし、39.5度の高熱を発して、意識不明な言語を発するなどの状態になったところ、原告眞澄、原告二三幸らは、本件手術後に亡五朗の左側腹部の排液用ペンローズ管から糞便様液が排出されるなどのこれまでの治療経過から、被告医師らへの信頼を失っていたので、同日午後一二時三〇分ころ、亡五朗を市立豊中病院へ転院させた。(甲三五、乙一、乙二、原告二三幸)

3  (市立豊中病院における人工肛門作製術)

そして、亡五朗は、八月一三日、市立豊中病院において、空置的人工肛門造設術、すなわち、縫合不全部の上流(口側)に便の流れをとめるための人工肛門を作製する手術を受けた。(乙二)

4  (亡五朗の死亡)

しかし、亡五朗は、病状の好転をみることなく、八月二二日には、心房細動、肝不全、腎不全の状態となり、同月二八日、市立豊中病院において、享年五三才で死亡した。(甲一、乙二)

三  亡五朗の死亡原因について

請求原因3の(三)の亡五朗の死因について検討する。

1  直接死因について

(一)  証拠によれば、亡五朗の死因を判断する事情としての症状経過、各種検査所見等については、以下のとおりであると認められる。

(1) 被告医師らは、七月三一日午後の亡五朗の症状を、敗血症様のものと認識していた。(乙一)

(2) 亡五朗は、市立豊中病院に転院した八月九日には、白血球とくに顆粒球の減少が著しく、同月一七日の検査結果では、白血球数が一四〇〇/mm3、顆粒球数が六〇〇/mm3になり、顆粒球減少症を呈していた。(乙二)

(3) 亡五朗の市立豊中病院転院後の八月一〇日に、同人から採取された動脈血から酵母様真菌類が同定された。(乙二)

(4) 市立豊中病院の堂野恵三医師は、八月二八日、亡五朗の死亡原因について、以下のとおりの診断をしたうえ、死亡診断書に記載した。(甲一)

ア 直接死因 敗血症

イ アの原因       S状結腸癌術後縫合不全

ウ イの原因       不明

エ その他の身体状況 糖尿病

(5) 市立豊中病院中央検査科部長である花田正人医師(以下「花田医師」という。)は、八月二八日に、亡五朗の病理解剖を実施し、肉眼的に癌性腹膜炎を示す所見はないこと、S状結腸縫合部は離開し、周囲膿瘍は縫合不全に起因するもので他の原因(例えば憩室症)は考えられないこと、肉眼上及び顕検上癌細胞と思われるものはないことなどの病理組織学的所見から、亡五朗の死因は、S状結腸縫合不全による敗血症を伴う多臓器不全(MOF)との判断を示している。(以下「花田所見」という。)(甲六、七、乙二、証人花田医師)

(6) 鑑定人永野耐造医師(以下「永野医師」という。)は、亡五朗の保管臓器についての病理組織学的な検査の結果、縫合不全による離開部を中心とする炎症性変化に基づく膿瘍形成並びに肺及び肝臓にみられる炎症性変化のみが認められ、肉眼的に癌腫や、顕検上癌細胞は認められなかったこと、組織学的には、肺は経度の気管支肺炎像を呈し、肝臓における諸所見は、菌血症又は多臓器不全に伴う変化を示していたこと等の病理組織学的所見から、亡五朗の死は、明らかに本件手術後の縫合不全に基づく腹腔内感染に起因する敗血症によるとの判断を示している。(証人永野医師、本件鑑定)

(二)  右認定の、花田所見及び本件鑑定では、一致して亡五朗の死亡に癌は影響していないとの判断を示しているのに対し、被告らは、亡五朗が、担癌患者であったことを基盤として、縫合不全から癌性腹膜炎を続発し、多臓器不全(MOF)へ移行したことによって死亡した旨主張する。しかしながら、花田所見によれば肉眼上癌性腹膜炎を示す所見はないこと、本件鑑定における病理組織学検査によれば、肉眼的に癌腫や、顕検上癌細胞は認められなかったことからすれば、亡五朗に癌性腹膜炎が発症していたことを認めることはできず、被告らの主張が顕著な臨床所見に基づくものとは言えず、採用できない。そして、他に亡五朗の直接死因が癌性由来であることを認めるに足りる証拠もないから、前記各所見等を総合すれば、亡五朗の直接死因は、敗血症であったと認めるのが相当である。(なお、被告らは、当初、亡五朗の直接死因が敗血症であることを自白していたが、その後平成元年三月六日の本件口頭弁論期日において右自白を撤回した。しかしながら、右認定のとおり、亡五朗の直接死因は敗血症であると認められるので、被告らの右自由の撤回は、自白が真実に反するとは言えないので、失当である。)

2  敗血症の原因

証拠(乙二、証人花田医師、証人永野医師、本件鑑定)によれば、亡五朗が敗血症によって死亡するに至る機序については、本件手術後、縫合不全によって腸管内容が腹腔内に洩れ出し、腸内細菌も縫合不全部から旁結腸軟組織に洩れ、その部に感染を生じると同時に、腹腔内感染を惹起して急性化膿性腹膜炎を発症し、更に、腹腔内感染の進行によって、腹腔内に膿が貯留し、ダグラス窩膿瘍が形成されたこと、このような極めて重症の腹腔内感染により、起炎菌が、血中に侵入して敗血症を惹起したこと、右の経過は医学的連続性が認められ、その経過を中断する要素がないことが認められる。そして、亡五朗の敗血症が、本件手術後の縫合不全(以下「本件縫合不全」という。)以外の原因によって生じたことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、亡五朗の敗血症は、本件縫合不全に起因することが認められる。

四  本件縫合不全と被告医師らの過失について

1  請求原因4の当否を検討するに、亡五朗の死因についての前記判示に照せば、本件縫合不全惹起に関連しない主張である(一)(1)及び(五)の点については、その判断を要しないところ、本件縫合不全に関連して、まず、(一)の(2)、(3)、(二)、(三)の点を検討する。右主張を要約すると、被告医師らが、①縫合不全を防止するために必要な術前検査、一般栄養状態の改善措置、及び腸内容除去及び腸内細菌減少措置をいずれも懈怠し、②縫合不全の危険性の高い一期的手術を行い、③本件手術における手技上の過誤を犯したとする。

2  そこで、本件縫合不全の発生原因について検討するに、証拠(甲二〇、二五、本件鑑定)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  縫合不全とは、縫合部が治癒しないで、創が離開した状態である。右状態が消化管吻合後に生ずると、消化管の内容が胸腔内、腹腔内に漏出し、重篤な感染症を起こし、その結果、致命的な結果をもたらすことがある。縫合不全の発生原因は、全身的なものと局所的なものとに区別することができる。

(二)  全身的因子

(1) 低蛋白血症、ビタミンや微量元素欠乏、電解質や水分のアンバランス等の栄養障害。

(2) ショック、貧血、肺機能障害による低酸素血症

(3) 糖尿病、動脈硬化、悪性腫瘍、肺結核などの慢性肺疾患等の慢性疾患との合併

(4) 制癌剤やステロイドの長期投与

(三)  局所的因子

(1) 縫合部の血流障害

(2) 局所の感染

(3) 縫合部に瘢痕、癌、炎症等の病変の存在する場合

(4) 過緊張

(5) 手術手技が悪い場合

3  本件縫合不全についての亡五朗の全身素因的要因

(一)  以上の事情を前提に、本件縫合不全についての亡五朗の全身素因的要因を検討するに、証拠によれば、以下の事実が認められる。

(1) 亡五朗の手術前、手術痕の血清総蛋白量はすべて正常範囲内であり、他に栄養障害を示す資料はない。(乙一、二五、本件鑑定)

(2) 亡五朗は、手術後早期にはショック状態を発現していないし、赤血球数やヘモグロビンの測定値は、すべて正常範囲内であった。(乙一、一九、二五、本件鑑定)

(3) 亡五朗の血糖値の変化は、手術前においては、六月二七日に血糖値一三四mg/dl、同月二九日に一一三mg/dl、七月九日に八〇日mg/dlであった。なお、この時点では、経口摂取困難であり、ブドウ糖による経口的負荷試験は不可能であった。手術後における血糖値としては、七月一五日に二八九mg/dlであり、翌一六日に中心静脈栄養が開始されて、翌一七日に三二五mg/dlとなった。そのため、被告医師らは、アクトラピッドインシュリン二〇単位の投与を開始して、八月七日まで連続投与されていたが、七月二四日に二八五日mg/dl、八月一日に二一一mg/dlと高検査値が続いていた。(乙一、一九、二五、本件鑑定)

(4) 本件鑑定のための病理組織学的検査結果からは、亡五朗に局所循環障害を起こすだけの動脈硬化が認められず、かつ、悪性腫瘍も縫合不全部については全く認められなかった。(本件鑑定)

(5) 亡五朗に対する制癌剤やステロイドの投与はなされていない。(乙一)

(二)  以上の認定事情を総合すると、亡五朗の血糖値が、初診時から比較的高値を示していたので、糖尿病鑑定のための検査が行なわれていないため、糖尿病であるとの確定診断はできないものの、少なくとも、亡五朗に耐糖能障害があったというべきである。このことは、本件縫合不全の全身的要因と認められる。

4  縫合不全の局所的要因

前記認定の本件手術の方法、経過を、証拠(証人永野医師、本件鑑定)に照らして検討するに、被告医師らは、本件手術時に際し、縫合部の血流障害を発生させないための注意自体は十分に払っており、縫合部に血流障害は起こっていなかったこと、バブリングテストを行って、端々吻合縫合も完全であることを確認していること、及び亡五朗の縫合不全部に、肉眼的に癌腫や、顕検上癌細胞は見出せないことが認められる。したがって、本件手術時において、縫合部に血流障害は生じておらず、被告医師らによる本件手術の術式選択、手術における手技には、縫合不全を惹起せしめる過誤はなかったというべきである。そして、他の前記局所的要因のうちにも、亡五朗の縫合不全を生じさせたと認められる要因を見出すことはできない。そうすると、本件全証拠を総合するも、亡五朗の縫合不全がいかなる局所的要因によるものかは、これを確定できないというほかはない。

5  ところで、被告らは、亡五朗が癌末期の患者であったから、その全身状態が不良であったこと、大腸疾患の患者では特に終末動脈の血行障害が起こりやすいことなどの要因のほか、本件手術後三週間を経過した後に縫合不全が発生したことを併せ考えると、癌の再発によって、本件縫合不全が生じたと考えるのが妥当であると主張する。

しかしながら、証拠(証人永野)によれば、本件縫合不全が亡五朗のS状結腸癌に起因するものであるとすると、亡五朗の縫合不全部に、肉眼的及び顕微鏡的な癌性変化が生じていなければならないことが明らかである。しかるに、花田所見及び本件鑑定における病理組織学的検査のいずれによっても、亡五朗の縫合不全部に、肉眼による癌腫も、顕検上の癌細胞の存在も認められなかったことは前記判示事実のとおりであるうえ、他に本件縫合不全の発症に亡五朗のS状結腸癌が影響したことを認めるに足りる証拠はないから、被告らの主張は採用できない。

6  以上によれば、本件縫合不全の原因については、亡五朗の全身素因的要因の耐糖能障害を挙げうるものの、局所的要因としての原因は、これを確定することはできないところである。そうすると、本件縫合不全が、被告医師らの前記1に摘記した過誤によって発生したか否かについても、その前提事実を確定し難いことになる。したがって、原告らが本件縫合不全の発生原因と主張する前記主張は、その余の事実についての判断を経るまでもなく、採用できない。

五  本件経口摂取時における被告医師らの過失の有無について

次に、原告らは、請求原因4(四)において、被告医師らが、亡五朗に対して本件経口摂取を開始する前に、縫合不全の有無及び完全な腸瘻化の有無についての造影剤(ガストログラフィン)を用いた造影検査を実施していない点、及び亡五朗が縫合不全症状を呈したにもかかわらず、経口摂取を継続した点に過失がある旨主張するので検討する。

1  証拠(甲二〇、二六、証人永野医師、本件鑑定)によれば、消化器吻合手術後に経口摂取を開始する際に必要な検査、縫合不全が判明した場合の治療原則について、以下の事実が認められる。

(一)  縫合不全が生じている場合に、経口摂取を行うと、各種消化液が胃腸内に分泌されるために、経口摂取を中止している場合に比較して、飛躍的に腸内容物が増加する。その結果、再縫合部から漏出する腸内容物の量も増加し、その一部が排液管からではなく、縫合不全部の〓開部から腹腔内に流出、貯留するおそれが大きくなり、これに引き続いて重篤な細菌感染が生ずる。

(二)  そのため、経口的に飲食物を摂取させるためには、その前に縫合不全が存在しないことを確認する必要がある。その検査としては、通常、術後三、四日目に、消化管造影、あるいはメチレン青などの色素注入を行う方法があり、右各検査は特に困難を伴う検査ではない。

(三)  右各検査により、あるいは、病状等から、縫合不全の存在が確認された場合には、治療上の原則として、経口摂取の禁止、強力な化学療法、漏出した内容や膿汁の体外誘導、消化管内容の漏出の予防、栄養管理などが挙げられる。とりわけ、治療原則の第一に挙げられている経口摂取の禁止は重要であり、このことは、すでに一般医学通念として定着しているものである。そして、これらの保存的治療を行いながら熱型、腹部所見白血球数、排液管からの排液の量及び性状を検討して、高熱の持続、白血球の著しい増加、排液量の増加、筋性防御の出現を見た場合には、再開腹の対象となる。再開腹の時期を逸すると症状を悪化させ、敗血症や敗血症性ショック、ひいては多臓器不全(MOF)などを誘引し、致命的となりかねない。

(四)  したがって、消化器吻合後の経口摂取は、縫合不全が発生していないことを確認してから行い、縫合不全が発生した場合には、直ちに経口摂取を中止すべきである。

2  ところで、亡五朗の本件縫合不全の症状経過については、前記一の4に認定のとおりである。すなわち、亡五朗の症状としては、本件手術後六日目である同月一七日に三七度三分の微熱を発し、白血球数が一四八〇〇に増多して、腹痛を訴えるなどしたこと、翌一八日には、左側腹部のペンローズ管から膿性漿液性分泌液少量が流下したこと、同月二〇日にも左側腹部のペンローズ管から膿性漿液性分泌液少量が流下し、同月二一日には白血球九八〇〇に再び増多したこと、同月二五日には左腹部のペンローズ管から糞便様の分泌物の附着乾燥が見られたこと、同月二九日にも糞便様の褐色の浸出液が乾燥しているのが見られたこと、同月三一日午後からは、悪寒を伴う発熱等の典型的な敗血症様症状を呈するとともに、褐色便様滲出液がわずかに乾燥しているのが見られたこと、その後も、三七度ないし三九度の発熱が持続していたうえ、八月六日には悪臭を伴った濃厚糞便様液が多量に排出され、翌七日にも便汁の中等量排出があったことが認められる。

右認定の症状経過によれば、本件縫合不全は、七月一八日ころから発現し始め、同月二五日には糞便様の褐色の排液が見られた時点で完成したものと推認される。そして、被告医師らとしては、同月二九日には再度糞便様の褐色の浸出液が見られたというのであるから、そのころには、亡五朗において縫合不全が発生していることを疑い、縫合不全のための治療原則に従って、必要な造影検査をなしたうえで、経口摂取の禁止、強力な化学療法、漏出した内容や膿汁の体外誘導、消化管内容の漏出の予防、栄養管理などの措置を採るべきであった。しかるに、被告医師らは、右治療原則に反して、本件縫合不全を確認するための何らの検査をしないまま、同月二九日から、本件経口摂取を開始して、八月七日までこれを継続しているのであるから、被告医師らには、同月二九日に本件経口摂取を開始した点における、診療上の過失が認められる。

3  これに対し、被告医師らは、結腸末端部内容の持つ消化力が、化学的腹膜炎を惹起するに至ることはないうえ、流動食も、もともと無残滓であり、結腸吻合部へ到達するまでにはすべて吸収されると考えて経口摂取を継続したものであり、過失はない旨主張する。

確かに、本件のような下部消化管の場合、経口摂取のうちの水分などは、手術局所に達するまでに吸収されてしまうことも想定し得るけれども、流動食投与によって、各種消化液が胃腸内に分泌されるために、絶食の場合に比較して、腸内容物の増加することが十分考えられるのであるから、被告ら主張の右事情については、縫合不全が発生した場合に、造影検査等をすることなく、一般医学通念に反して経口摂取を開始したことについての根拠としては薄弱と言わざるを得ない。したがって、被告らの右主張は採用できない。

4  以上によれば、被告医師らが、本件縫合不全を確認するための何らの検査も実施することなく、同月二九日から、本件経口摂取を開始し、八月七日までこれを継続した点には、過失が認められる。

六  被告医師らの過失と亡五朗の死亡との間の因果関係について

1  経口摂取と死亡との間の因果関係について

被告医師らの亡五朗に対する本件経口摂取は、亡五朗の縫合不全の直接の原因ではないものの、証拠(証人永野、本件鑑定)によれば、本件経口摂取によって、各種消化液が腸内に分泌されたために、経口摂取を中止している場合に比較して、飛躍的に腸内容物を増加させ、その結果、縫合部から漏出する腸内容物の量も増加し、その一部が排液管からではなく、縫合不全部の〓開部から腹腔内に流出、貯留して、腹腔内重症感染を悪化させたことを推認することができる。

そうすると、腹腔内重症感染から敗血症を惹起して亡五朗が死亡するに至ったことは前記認定のとおりであるから、被告医師らの本件経口摂取についての過失と、亡五朗の敗血症に基づく死亡との間に因果関係を認めることができる。

2  本件手術当時の亡五朗の癌の進行度と因果関係について

被告らは、亡五朗の癌の進行度は、大腸癌取扱規約によれば、組織学的進行程度がステージVに相当しているので、その結果として亡五朗の五年生存率は、7.6パーセントに過ぎないことになるから、亡五朗は癌によって早晩死亡を免れなかったという意味で、仮に被告医師らに過失があるとしても、右過失と亡五朗の死亡との間の因果関係は否定されなければならないと主張する。

しかしながら、右の点は、被告が賠償すべき損害額の算定の基礎となる亡五朗の余命を判断するうえで考慮すべき事情とはなり得るとしても、被告医師らの過失と亡五朗の死亡との因果関係を左右するものではないから、因果関係に関する主張としては失当である。

七  本件手術時における亡五朗の癌の進行度と余命について

1  亡五朗の癌の進行度について

証拠(乙二八、三四、証人永野、本件鑑定)によれば、大腸癌の生存率に強い影響を与える要素たる事情は、癌の進行程度、とりわけリンパ節転移の有無、壁深達度、腹膜播種性転移の有無及びその程度である。そこで、亡五朗の本件当時の癌の進行程度について検討する。

(一)  各検査所見

亡五朗の本件当時の癌の進行程度について検討する際の資料としては、西下胃腸病院検査所見、宮地医師が中央微研検査報告書に記載した検査所見(以下「宮地検査所見」という。乙一、二七、四〇)、本件手術の際に採取されたまま中央微研に保存されていたパラフィン包理ブロック試料について、若狭研一医師(以下「若狭医師」という。)が被告医師らの依頼により、改めて検査した結果(以下「若狭検査所見」という。乙三六、乙三九、検乙二ないし一一の二、証人若狭、弁論の全趣旨)、岩永剛医師(以下「岩永医師」という。)が本件鑑定後に被告らの依頼により本件各証拠に基づいて検討した結果(以下「岩永所見」という。乙四一)が存する。以下、各所見について検討する。

(1) 西下胃腸病院検査所見

内視鏡検査所見は、「肛門より二五センチメートルの部位に、全周にわたる易出血性の腫瘤による狭窄があり、それ以上挿入不能であった。S状結腸癌が強く疑われる。」というものであり、病理組織検査所見は、「七つの切片のうち三切片は、腺構造に異形があり、N/C比が大きく、細胞異形もあり、グループ五(癌と判定される)、進行度は悪性である。他の四切片は、腺構造に乱れがなく、細胞異形もない。」というものである。

(2) 宮地検査所見

本件手術時に採取されたNo.三二九三四二S状結腸腫瘍及びNo.三二九三四三リンパ節を検査したところ、同S字結腸腫瘍の一部については、「高分化管状腺癌、深達度si」であり、同リンパ節については、「高分化管状腺癌の大網転移」と判断されるとする。

なお、証拠(被告大樋医師)によれば、中央微研検査報告書(乙一)中の「p(+)」、「組織学的進行Ⅲ」という文言記載は、本件手術後から九月二日の本件証拠保全までの間に、被告山中医師が記載したものであり、その余の「漿膜浸潤あり」、「腹膜播種あり」、組織学的進行Ⅲ「→Ⅴ」という文言記載は、坂本病院の他の医師が本件証拠保全後に記載したものと認められる。そうすると、これらの追加的記載について、被告山中医師らの作成文書として検討することは格別、右各文言記載のすべてを宮地医師が作成した書面として、亡五朗のS状結腸癌の進行程度についての判断に供することは、その前提としての真正な作成を認めることができず、相当性がない。

(3) 若狭検査所見

①S状結腸に中分化型腺癌がある、②癌細胞の浸潤様式は中間型である、③結腸壁の癌組織の深達度はsi、つまり結腸漿膜まで及ぶ、④リンパ管内へ侵襲した癌細胞は粘膜下層、固有筋層の最深部はもとより漿膜下にも無数に見い出され、リンパ管侵襲が見られる、⑤リンパ管内ではリンパ流が疎外されたためか、拡張、畏縮、閉塞、屈曲等の著名な形態が見出される、⑥静脈侵襲は、ファンギーソン弾力線維染色を行っても見出せない、⑦腹膜播種も見出せる、という所見のもとで、S状結腸中分化腺癌であり、浸潤様式はベータ(周囲組織に浸潤しているもので、個々の細胞単位での浸潤。)で中間型、深達度はsi、脈管侵襲は、リンパ管侵襲が1y2(侵襲が中等度。)、静脈侵襲はv0(侵襲が認められない。)、腹膜播種性転移はP1、P(+)(近接腹膜にのみ播種性転移を認めるが、組織学的に腹膜播種性転移があることが確認された。)と判断している。

そして、リンパ管侵襲が認められるということは、そこから癌が腹腔内に洩れ出る可能性があるということを意味するから、結腸癌が、大網、臓側腹膜、壁側腹膜など腹膜に転移して孤立病変が存在していた可能性があるところ、No.三二九三四三リンパ節の顕微鏡写真(検乙一の7、10、六、七)によって、右腹膜転移が裏付けられたとする。

(4) 岩永所見

本件鑑定当時存在したNo.三二九三四三リンパ節の顕微鏡写真(検乙一の7、10、六、七)だけでは、確実には腹膜への播種性転移を証明することはできないとしながら、若狭医師が、本件鑑定及び鑑定人岩永医師の証人尋問終了後に改めて撮影したNo.三二九三四三リンパ節の顕微鏡写真(検乙一一の1、2)によれば、結節全体の周囲に脂肪組織があるから、確実に腹膜への播種性転移を証明できたといえ、腹膜播種性転移はP(+)となるとする。

(二)  本件手術時の癌の存否

右各検査所見、及び前記認定の本件手術前の亡五朗の臨床症状によれば、癌性のS上結腸狭窄と認めても矛盾ない諸症状が持続といえるので、亡五朗には、本件手術時において、高分化型管状腺癌又は中分化型腺癌が存在していたものと認められる。

(三)  リンパ節侵襲の有無

(1) 若狭検査所見によれば、リンパ管内へ侵襲した癌細胞は、粘膜下層、固有筋層の最深部はもとより、漿膜下にも無数に見出され、リンパ管侵襲が見られたとされている。しかしながら、本件鑑定によれば、若狭検査所見の根拠となっているNo.三二九三四二リンパ節の顕微鏡写真(検乙二ないし五号証、検乙八ないし一〇号証の二)によって、リンパ管侵襲を認めることができるものの、右写真の撮影対象がリンパ節であると確認することはできないとされ、かつ右各証拠によっても、リンパ節侵襲を認めることはできないとされている。したがって、右若狭検査所見を採用できないところ、他にリンパ節侵襲を認めるに足りる証拠はないので、結局、リンパ節侵襲までを認めることはできない。

(2) 大腸癌取扱規約によれば、リンパ節転移のないもの(n0(−))の五年生存率は、72.9パーセントである。

(四)  大網転移の有無

(1) 宮地検査所見によれば、被告医師らから「所属リンパ節」として提出されたNo.三二九三四二リンパ節について、「高分化管状腺癌の大網転移」としている。そこで、この大網転移が認められるか否かについて検討する。

証拠(証人花田医師、証人永野医師、本件鑑定)によれば、大網組織をいわゆる組織学的に同定するのは極めて困難であり、病理組織学的所見、つまり顕微鏡下の所見のみから、「脂肪組織中のリンパ節と思われていたもの」を「大網転移」と断定するのは不可能であることが認められる。

そうすると、被告医師らから「所属リンパ節」として提出されたNo.三二九三四二リンパ節について、宮地医師が「高分化管状腺癌の大網転移」と判断するためには、被告医師らから、宮地医師に対し、手術時に大網を採取してそれを提出したこと、ないしはその確認可能性が存していたことが必要であった。ところが、これを認めるに足りる証拠はないから、宮地医師がNo.三二九三四二リンパ節を大網であると判断することはできなかったと言わなければならない。

すなわち、証拠(乙一、二七)によれば、被告医師らから中央微研に対する病理検査依頼の書面上の記載文言には、材料採取部位としての「①S状結腸腫瘍の一部、②所属リンパ節二ケ」という記載がなされているのみで、大網を提出したという文言はない。そして、坂本病院における本件手術時のカルテには「切除部分の内に含まれているリンパ節は、病理標本として腫瘍部の標本とともに提出されることになっている」との文言があり、右病理検査依頼書の記載内容と合致している。ところで、証拠(証人永野、本件鑑定)によれば、大網組織とリンパ節とは極めて異質なものであって、採取の際に両組織を間違えることは、医師であれば考えられないことが認められる。また、宮地医師自身も、標本の採取部位については、被告医師らから何も聞いていないことを認めている(乙四〇)。そうすると、被告医師らが、宮地医師に対し、手術前に大網を採取し、これを提出したことや、その可能性があるという情報を伝達したと認めることはできない。

以上によれば、顕微鏡下の所見のみから、大網を組織学的に同定することは極めて困難であって、「脂肪組織中のリンパ節と思われていたもの」を「大網転移」と断定することが不可能であることは前記認定のとおりであるから、宮地所見の「大網転移」という判断は、いまだ採用することができないというべきである。

(五)  腹膜播種性転移の有無

(1) 若狭検査所見及び岩永所見では、結腸癌が、大網、臓側腹膜、壁側腹膜などの腹膜に転移して、孤立病変が存在していたとする。

しかしながら、証拠(証人永野医師、本件鑑定)によれば、大網のような薄い脂肪組織中を癌細胞が遊離、移動し、孤立性の癌腫を形成することは、ほとんど考えられないこと、そして、リンパ管侵襲のために、癌細胞が腹腔内に洩れ出る可能性があるということは、腹膜そのものが侵されている場合を別とすれば、医学通念上考え難いことが認められる。

そして、証拠(乙一一三、亡白羽医師本人、証人永野医師、本件鑑定)によれば、本件手術時に、S状結腸全面を覆う大網がS状結腸及びその腸間膜に癒着していたことは認められるものの、その癒着が癌性由来と認めることはできない。他に亡五朗の腹膜が癌性由来の病変を来していたことを認めるに足りる証拠はない。そうすると、腹膜播種性転移とする若狭検査所見及び岩永所見は、いずれもにわかに採用することができない。

(2) 腹膜播種性転移

大腸癌取扱規約によれば、腹膜のどこにも播種性転移を認めないもの(P0)の五年生存率は、54.5パーセントである。

(六)  S状結腸癌の漿膜浸潤

(1) したがって、S状結腸癌の大網への組織転移とする見方も、リンパ管侵襲からの腹腔内播種とする見方もいずれも採用できない。それならば、No.三二九三四二リンパ節について、どう考えるべきかが検討すべき問題点となる。

前記認定事実を総合すれば、本件手術時において、S状結腸前面を覆う大網がS状結腸及びその腸間膜に癒着していたので、その右の三分の一を残して横行結腸から切断し、手術後切開したところ、S状結腸漿膜面に膚接していたのがNo.三二九三四二リンパ節であることからすると、No.三二九三四二リンパ節は、癌がS状結腸漿膜に浸潤したものであり、その結果大網がS状結腸に癒着した状態となっていたと推認できる。

(2) 大腸癌取扱規約によれば、癌がS状結腸漿膜に浸潤している場合には、壁深達度si(癌が明らかに他臓器に浸潤している)となり、五年生存率は、29.8パーセントとなる。また、Duks分類によれば、Bの段階(癌浸潤が腸壁外に広がるが、リンパ節転移のないもの。)となり、五年生存率は、七〇パーセントとなる。

2  癌の進行程度からみた亡五朗の五年生存率について

以上認定の事実を総合すれば、亡五朗の本件S状結腸癌についての本件手術時における大腸癌取扱規約に基づく進行程度は、壁深達度si(癌が明らかに他臓器に浸潤している。)のみの場合で、腹膜播種組織学的進行度は、ステージⅢに相当する。そして、証拠(乙二八、証人永野)によれば、大腸癌取扱規約に基づく患者の予後の予測は、壁深達度、リンパ節転移、腹膜播種、肝転移、腹腔外遠隔他臓器転移のうちの最悪のものによって決定されることが認められる。そうすると、大腸癌取扱規約によれば、亡五朗について、右条件のうち最悪のものは、壁深達度si(癌が明らかに他臓器に浸潤している。)であり、五年生存率は、29.8パーセントとなる。

しかしながら、大腸癌取扱規約による患者の五年生存率の予測は、前記の決定方式から明らかなように、癌の進行程度を示す五要素のうち最悪の一要素のみで決定されるものであるから、たとえ五要素のうちの最悪の要素が共通の症例であっても、他の要素との比較において、その進行程度には当然に差異があり得るところであり、五年生存率も一律には決し得ないことは、右規約自体が予想するところである。そして、損害算定の際の事情としての五年生存率を判断するに当って、大腸癌治療を目的として規定された大腸癌取扱規約に全面的に依拠しなければならないものではないことも明らかであり、右規約の挙げる五要素のほか、患者の臨床症状、治療経過等を含めたあらゆる事情を総合考慮して決定するべきであると解される。

これを本件において検討するに、大腸癌取扱規約上は、壁深達度のほかはすべて最も進行していない段階であること、Duks分類によれば、B段階(癌浸潤が腸壁外に広がるが、リンパ節転移のないもの。)となり、五年生存率は、七〇パーセントとなること、本件手術後においては、亡五朗の身体に、肉眼的に癌腫や顕検上癌細胞が認められていないことなどの事情を総合すると、亡五朗の五年生存率は、約五〇ないし六〇パーセントであると認めるのが相当である。

3  亡五朗の余命について

前記認定の亡五朗の五年生存率によれば、同人の余命年数ひいては稼働可能年数が、通常人と同様の五四才から六七才までの一四年であるということはできない。そして、人の死期を的確に予測することが、極めて困難であることはもとより明らかであるから、亡五朗に生じた損害が証明されていないとする考えもあり得るところである。

しかしながら、損害賠償請求訴訟における損害の算定に当っては、これが原告の主張立証責任に属することも考慮すると、余命の確定的証明がなされていないからといって、損害の算定を不能とすべきものではなく、相当程度確実な蓋然性をもって余命年数が明らかになった場合には、右蓋然性のある範囲での控え目な余命年数を推認するのが相当であると解される。

そこで、前記認定の亡五朗の病状経過及び五年生存率等を総合考慮すると、亡五朗は、被告医師らの経口摂取によって縫合不全が悪化した結果、敗血症により死亡しなければ、少なくとも五年間は生存し、かつ、稼働可能であったものと推認される。

八  被告らの責任

1  (被告医師らについて)

被告医師らは、共同して、亡五朗に対し、本件経口摂取を行った過失により、後記損害を与えたのであるから、民法七一九条により、連帯してその損害を賠償する責任を負う。

2  (被告篤友会について)

被告篤友会は、被告医師らの使用者であるから、民法七一五条に基づいて、被告医師らの前記過失によって生じた後記損害について、被告医師らと連帯して賠償する責任を負う。

3  (亡白羽医師の相続債務について)

なお、前記争いがない事実及び弁論の全趣旨によれば、亡白羽医師が死亡したため、被告白羽宜及び被告白羽誠が、法定相続分各二分の一宛、右損害賠償責任を相続したことが認められる。

4  また、原告は、被告らの責任原因として、右不法行為責任のほか、選択的に診療契約上の債務不履行責任を主張するけれども、被告医師らが亡五朗との間で診療契約を締結したと認めるに足りる証拠はない。そして、被告篤友会が負うべき右債務不履行責任については、不法行為責任の限度を超えるものであると解される。

九  損害

以上の認定をもとに、原告らの損害額を算定することとする。

1  亡五朗の損害

(一)  逸失利益

二三八二万七四四〇円

証拠(甲四、二八の1)によれば、亡五朗は、昭和八年一一月一二日生まれの男子であって、死亡当時満五三才であり、死亡するまで日本メカトロ株式会社代表取締役として、年額七八〇万円の収入を得ていたことが認められる。そして、前記判示事実によれば、亡五朗は、本件縫合不全に基づく敗血症で死亡しなければ、以後、少なくとも五年間は稼働可能であり、その間前記年収と同額の収入を得られたものと推認することができる。そこで、右年収額を基礎に、生活費として三割を控除したうえ、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、亡五朗の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は、二三八二万七四四〇円となる。

780×(1−0.3)×4.364=23,827,440

(二)  慰謝料 五〇〇万円

前記認定の亡五朗の死亡に至る経緯や余命年数、被告医師らの過失態様、等の諸般の事情を総合すると、亡五朗の固有の慰謝料としては、五〇〇万円が相当である。

(三)  入院治療費、入院雑費、付添費、医師謝礼 四三万七七四〇円

前記認定事実によれば、亡五朗のS状結腸癌はかなり進行したものであったから、被告医師らの過失がなくとも相当期間入院治療を余儀なくされたものと考えられる。したがって、原告らが負担した入院治療費等についての損害賠償義務の範囲としては、そのうち、市立豊中病院に対して支払われた三二万七五四〇円(甲三二の1ないし4)、同病院の入院期間中の入院雑費(一日一三〇〇円として一九日分で二万四七〇〇円)及び付添費(一日四五〇〇円として一九日分で八万五五〇〇円)の限度で因果関係を認めるのが相当であり、その余は失当である。

2  原告眞澄の損害

(一)  葬儀費用、墓碑建立費

証拠(甲一〇ないし一四、三三、三四)によれば、原告眞澄は、亡五朗の葬儀を行うとともに、亡五朗の墓碑を建立し、その費用として、三〇〇万九〇九〇円を支出したことが認められるが、被告医師らの過失と因果関係のある損害としては、一二〇万円が相当である。

(二)慰謝料

前記認定の亡五朗の死亡に至る経緯や余命年数、被告医師らの過失の態様、等の諸般の事情を総合すると、原告眞澄の慰謝料としては、二五〇万円が相当である。

3  原告英夫及び原告二三幸の損害

(一)  慰謝料

前記認定の亡五朗の死亡に至る経緯、被告医師らの過失の態様、亡五朗の余命年数等本件についての諸般の事情を総合すると、原告英夫及び原告二三幸の慰謝料としては、各自一二五万円が相当である。

4  亡五朗の損害の相続

亡五朗の妻の原告眞澄、亡五朗の子の原告英夫及び原告二三幸が亡五朗の法定相続人であることは当事者間に争いがないから、原告眞澄が、亡五朗の相続分の二分の一を、原告英夫及び原告二三幸が亡五朗の相続分の各四分の一をそれぞれ相続したことになる。

したがって、原告眞澄は、亡五朗の損害のうちの一四六三万二五九〇円を、原告英夫及び原告二三幸は、亡五朗の損害のうちの七三一万六二九五円を、それぞれ相続した。

5  弁護士費用

本件事案の性質、訴訟の経過、認容額等の諸般の事情を勘案すると、被告医師らの過失との間で因果関係を認めるべき弁護士費用は、原告眞澄について一六〇万円、原告英夫及び原告二三幸について各八〇万円が相当である。

一〇  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、そのうち、

1  被告篤友会、被告山中医師及び被告大樋医師に対し、連帯して、原告眞澄に対しては一九九三万二五九〇円、原告英夫及び原告二三幸に対しては九三六万六二九五円の各支払を求める部分、

2  被告白羽宜に対して、原告眞澄に対しては九九六万六二九五円、原告英夫及び原告二三幸に対しては四六八万三一四七円の各支払を求める部分、

3  被告白羽誠に対して、原告眞澄に対しては九九六万六二九五円、原告英夫及び原告二三幸に対しては四六八万三一四七円の各支払を求める部分、

4  右1ないし3の各金員に対する亡五朗死亡の日である昭和六二年八月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める部分は、

いずれも理由があるので、これを認容するけれども、その余は理由がないから、これをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊東正彦 裁判官佐藤道明 裁判官春名茂)

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